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行く末もうしろめたくうとましきまで思ひやらる。月のあかき夜な夜なおい人どもはえんに歌よみいにしへ思ひ出でつゝさまざまの物語などするにいらふべき方もなければつくづくとうちながめて、

 「われかくてうき世の中にめぐるとも誰かはしらむ月のみやこに」。今はかぎりと思ひし程は戀しき人多かりしかどこと人々はさしも思ひ出でられず。唯親いかに惑ひ給ひけむ、乳母よろづにいかで人なみなみになさむと思ひいられしをいかにあへなき心ちしけむ、いづこにあらむ我が世にあるものとはいかでか知らむ。同じ心なる人もなかりしまゝに萬隔つる事なく語らひ見なれたりし右近などもをりをりは思ひ出でらる。若き人のかゝる山里に今はと思ひたへ籠るは難きわざなりければ唯いたく年經にける尼七八人ぞ常の人にてはありける。それらがむすめうまごやうのものども京に宮仕するもことざまにてあるも時々ぞ來通ひける。かやうの人につけて見しわたりにいき通ひおのづから世にありけりと誰にも誰にも聞かれ奉らむこといみじく恥かしかるべし。いかなるさまにてさすらへけむなど思ひやり萬怪しかるべきを思へば、かゝる人々にかけても見えず。たゞ侍從こもきとて尼君のわが人にしたりける二人をのみぞこの御方にいひわけたりける。みめも心ざまも昔見しみやこ鳥に似たることなし。何事につけても世の中にあらぬ所はこれにやあらむとぞかつは思ひなされける。かくのみ人に知られじと忍び給へば誠に煩しかるべきゆゑある人にも物し給ふらむとて委しき事、ある人々にも知らせず。尼君の昔の婿の君今は中將にて物し給ひ