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あるべき」とのたまへば、いとほしげなる御さまをいかでかさはなし奉らむとて唯いたゞきばかりをそぎ五戒ばかりをうけさせ奉る。心もとなけれどもとよりをれをれしき人の心にて、えさかしく强ひてものたまはず。僧都は「今はかばかりにていたはりやめ奉り給へ」といひ置きてのぼり給ひぬ。夢のやうなる人を見奉るかなと尼君は喜びてせめておこしすゑつゝみぐし手づからけづり給ふ。さばかりあさましう引きゆひてうちやりつれど、いたうも亂れず。ときはてたればつやつやとけうらなり。一年たらぬつくも髮多かる所にて目もあやにいみじき天人の天降れるを見たらむやうに思ふもあやふき心ちすれど「なぞかいと心うくかばかりいみじく思ひ聞ゆるに御心を隔てゝは見え給ふ。いづくに誰と聞えし人の、さる所にはいかで坐せしぞ」とせめて問をいと恥かしと思ひて「怪しかりし程に皆忘れたるにやあらむ、ありけむさまなども更に覺え侍らず。たゞほのかに思ひ出づる事とてはたゞいかでこの世にあらじと思ひつゝ夕暮ことに端近くてながめし程に前近く大きなる木のありし下より人の出できて率て行く心地なむせし。それより外の事は我ながら誰とも得思ひ出でられ侍らず」といとらうたげにいひなして「世の中に猶ありけりといかで人に知られじ。聞きつくる人もあらばいといみじうこそ」とて泣い給ふ。あまり問ふを苦しとおぼしたれば得問はず。かぐや姬を見つけたりけむ竹取の翁よりも珍しき心ちするに、いかなる物のひまに消え失せむとすらむとしづ心なくぞおぼしける。このあるじもあてなる人なりけり。むすめの尼君は上達部の北の方にてありけるが、その人なくなり給ひて後娘唯一人をいみじくかしづ