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がら、うち拾てむもいとほしういみじ。夢がたりもし出でゝ始より祈らせし阿闍梨にも忍びやかにけしやくことせさせ給ふ。うちはへてあつかふ程に四五月も過ぎぬ。いと侘しうかひなき事を思ひわびて僧都の御許に「猶おり給ひてこの人助け給へ。さすがに今日までもあるは死ぬまじかりける人をつきしみりやうじたる物のさらぬにこそあめれ。あがほとけ京に出で給はゞこそはあらめ、こゝまではあへなむ」などいみじき事を書き續けて奉れ給へれば、「いとあやしきことかな。かくまでもありける人の命をやがてうち捨てゝましかばさるべき契ありてこそは我しもみつけゝめ。試に助けはてむかし。それにとまらずばがふ盡きにけりと思はむ」とており給ひけり。悅び拜みて月比の有樣をかたる。「かく久しう煩ふ人はむつかしき事おのづからあるべきを、聊衰へずいと淸げに拗けたる所なくのみ物し給ふ。さてかぎりと見えながらもかくて生きたるわざなりけり」などおふなおふななくなくのたまへば、「見つけしより珍らかなる人の御有樣かな。いでとてさし覗きて見給ひて、實にいときやうざくなりける人の御ようめいかな。くどく報いにこそかゝるかたちにも生ひ出で給ひけめ。いかなるたがひめにてかくそこなはれ給ひけむ。もしさにやと聞き合せらるゝこともなしや」と問ひ給ふ。「更に聞ゆることもなし。何かは初瀨の觀音の給へる人なり」とのまたへば「何かそれ緣にしたがひてこそ導き給ふらめ。たねなき事はいかでか」などのたまひあやしがり給ひてずほふはじめたり。おほやけの召しにだに隨はず深く籠りたる山を出で給ひてすゞろにかゝる人のためになむ行ひさわぎ給ふと物の聞えあらむいと聞きにくかるべしと