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しを」といふ。「殊更ことそぎていかめしうも侍らざりしといふ。けがらひたる人とて立ちながら追ひ返しつ。大將殿は宮の御むすめもち給へりしはうせ給ひて年比になりぬるものを、誰をいふにかあらむ。姬宮を置き奉り給ひて世にことごゝろおはせじ」などいふ。尼君宜しくなり給ひぬ。方もあきぬればかくうたてある所に久しうおはせむもびんなしとてかへる。「この人は猶いと弱げなり。道の程もいかゞものし給はむ。いと心苦しき事」といひあへり。車二つして老人乘りたまへるには仕うまつる尼ふたり、次のにはこの人をふせて傍に今一人乘りそひて道すがら行きもやらず車とめて湯參りなどし給ふ。比叡坂本に小野といふ所にぞ住み給ひける。そこに坐し着く程いと遠し。「なかやどりをぞ設くべかりける」などいひて夜更けておはし着きぬ。僧都は親をあつかひ娘の尼君はこの知らぬ人をはぐゝみて皆抱きおろしつゝやすむ。老の病のいつともなきが苦しと思ひ給へしとほ道のなごりこそしばし煩ひ給ひけれ、やうやうよろしうなり給ひにければ僧都はのぼり給ひぬ。かゝる人なむ率て來たるなど法師のあたりには善からぬ事なれば見ざりし人にはまねばず、尼君も皆口がためさせつゝ、もし尋ね來る人もやあると思ふも靜心なし。いかでさる田舍人の住むあたりにかゝる人おちあぶれけむ、物詣などしたりける人の心ちなど煩ひけむを繼母などやうの人のたばかりて置かせたるにやなどぞ思ひよりける。かはに流してよといひし一言より外に物も更にのたまはねば、いと覺束なく思ひていつしか人にもなして見むと思ふに、つくづくとして起きあがるよもなくいとあやしうのみ物し給へば遂に生くまじき人にやと思ひな