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しく物をうたていひなすものなれば人さわがしからぬかくれの方になむ臥せたりける。御車寄せており給ふほど「痛う苦しがり給ふ」とてのゝしる。すこししづまりて僧都「ありつる人はいかゞなりぬる」と問ひ給ふ。「なよなよとして物もいはず、いきもし侍らず。何か物にけどられにける人にこそ」といふを妹の尼君聞きて「何事ぞ」と問ふ。「しかしかの事をなむむそぢにあまる年珍らかなるものを見給へつる」とのたまふ。うち聞くまゝに、「おのが寺にて見し夢ありき。いかやうなる人ぞまづそのさま見む」と泣きてのたまふ。「唯この東の遣戶になむ侍る。はや御覽ぜよ」といへば急ぎ行きて見るに人もよりつかで捨ておきたりける。いと若う美しげなる女の白き綾の衣一襲紅の袴ぞ著たる。かうはいみじうかうばしくてあてなるけはひ限なし。たゞ我が戀ひ悲むむすめの歸りおはしたるなめりとて、なくなく御達を出して抱き入れさす。いかなりつらむとも有樣見ぬ人は恐しからで抱き入れつ。生けるやうにもあらでさすがに目をほのかに見あげたるに「物のたまへや。いかなる人かかくては物し給へる」といへど物覺えぬさまなり。湯とりて手づからすくひ入れなどするにたゞよわりに絕え入るやうなりければなかなかいみじきわざかなとて「この人なくなりぬべし。加持し給へ」と驗ざの阿闍梨にいふ。「さればこそ怪しき御物あつかひなりとはいへ」と神などの御爲に經讀みつゝ祈る。僧都もさし覗きて「いかにぞ何のしわざぞとよく調じて問へ」とのたまへどいとよわげに消えもて行くやうなれば「得生き侍らじ。すゞろなるけがらひに籠りて煩ふべきことさすがにいとやんごとなき人にこそ侍るめれ。死にはつともたゞにやは捨て