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かの夜深きまゐりものゝ所に心をよせたるなるべし。僧都「さらばさやうのものゝしたるわざか猶能く見よ」とてこの物おぢせぬ法師をよせたれば「鬼か神か狐かこだまか。かばかりの天の下の驗ざのおはしますにはえかくれ奉らじ。名のり給へ名のりたまへ」ときぬをとりて引けば顏をひき入れていよいよなく。「いであなさがなのこだまの鬼や。まさにかくれなむや」といひつゝ顏を見むとするに昔ありけむ目も鼻もなかりけるめ鬼にやあらむとむくつけきをたのもしういかきさまを人に見せむと思ひてきぬをひき脫がせむとすればうつぶして聲たつばかりなく。「何にまれかく怪しき事なべて世にあらじ」とて見はてむと思ふに「雨いたく降りぬべし。かくておいたらば死にはて侍りぬべし。垣のもとにこそ出さめ」といふ。僧都「まことの人のかたちなり。その命絕えぬを見る見る捨てむ事はいみじきことなり。池に泳ぐいを山に鳴く鹿をだに人に捕へられて死なむとするを見つゝ助けざらむはいとかなしかるべし。人の命久しかるまじき物なれど殘の命一二日をもをしまずはあるべからず。鬼にも神にも領ぜられ人に追はれ人にはかりごたれてもこれよこざまのしにをすべきものにこそあめれ。佛の必ず救ひ給ふべききはなり。猶試にしばし湯をのませなどして助け試みむ。遂に死ぬべくばいふ限にあらず」とのたまひてこの大とこして抱き入れさせ給ふを弟子ども「たいたいしきわざかな。いたう煩ひ給ふ人の御あたりに善からぬ物をとり入れてけがらひ必出で來なむとす」ともどくもあり。又「物の變化にもあれ目に見すみす生ける人をかゝる雨にうち失はせむはいみじき事なれば」など心々にいふ。下すなどはいとさわが