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髮は長くつやつやとして大きなる木の根のいとあらあらしきにより居ていみじうなく。「珍しきことにも侍るかな。僧都の御坊に御覽ぜさせ奉らばや」といへば「げに怪しき事なり」とて一人はまうでゝ「かゝることなむ」と申す。「狐の人に變化するとは昔より聞けどまだ見ぬものなり」とてわざとおりておはす。かの渡り給はむとすることによりて下すども皆はかばかしきは御厨子所などあるべかしきことどもをかゝるわたりには急ぐものなりければゐしづまりなどしたるに、唯四五人してこゝなるものを見るにかはることもなし。怪しうて時のうつるまで見る。疾く夜も明けはてなむ人か何ぞと見顯さむと心にさるべき眞言を讀み、印をつくりて試るにしるくや思ふらむ、「此は人なり、更にひざうのけしからぬものにあらず。寄りて問へ。なくなりたる人にはあらぬにこそあめれ。もし死にたりける人を捨てたりけるがよみがへりたるか」といふ。「何のさる人をかこの院の內に捨て侍らむ。たとひ誠に人なりとも狐こだまやうのものゝあざむきてとりもて來たらむにこそ侍らめ。いと不便にも侍りけるかな。けがらひあるべき所にこそ侍るめれ」といひて、ありつる宿守のをのこを呼ぶ。山彥の答ふるもいとおそろし。あやしのさまに額おしあげて出で來たり。「こゝには若き女などやすみ給ふ。かゝる事なむある」とて見すれば「狐のつかうまつるなり。この木のもとになむ時々怪しきわざなむし侍る。一昨年の秋もこゝに侍る人の子の二つばかりに侍りしをとりてまうで來たりしかども見驚かず侍りき」、「さてそのちごは死にやしにし」といへば「生きて侍りき。狐はさこそは人をおびやかせどことにもあらぬやつ」といふ樣いとなれたり。