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かりけることはさる聖の御あたりに山のふところより出で來たる人々のかたほなるはなかりけるこそ。このはかなしやかろかろしやなど思ひなす人もかやうのうち見るけしきはいみじうこそをかしかりしかと何事につけても唯かのひとつゆかりをぞ思ひ出で給ひける。あやしうつらかりける契どもをつくづくと思ひ續けながめ給ふ夕暮、かげろふの物はかなげに飛びちがふを、

 「ありと見て手にはとられず見れば又行くへもしらず消えし蜻蛉。あるかなきかの」と例のひとりごち給ふとかや。


手習

そのころ橫川に某僧都とかいひていとたふとき人すみけり。八十ぢ餘りの母五十ばかりの妹ありけり。ふるきぐわんありてはつせにまうでたり。むつまじうやんごとなく思ふ弟子の阿闍梨をそへて佛經供養すること行ひけり。事ども多くして歸る道に奈良坂といふ山越えける程よりこの母の尼君心ち惡しうしければ、かくてはいかでかのこりの道をもおはしつかむともてさわぎて宇治のわたりに知りたりける人の家ありけるに留めて今日ばかりやすめ奉るに、猶いたうわづらへば橫川にせうそこしたり。山ごもりのほ意ふかく今年は出でじと思ひけれど、かぎりのさまなる親の道の空にてなくやならむと驚きて急ぎものし給へり。