Page:Kokubun taikan 02.pdf/61

提供:Wikisource
このページは校正済みです

なりな、せうそこはかよはし給ふや。尼君いかに思ひ給ふらむ。親子の中よりも又さるさまの契は殊にこそ添ふべけれ」とて打ち淚ぐみ給へり。「年のつもりに世の中の有樣をとかく思ひ知り行くまゝに、怪しく戀しく思ひ出でらるゝ人の御有樣なれば、深き契のなからひはいかに哀ならむ」などのたまふ序に「この夢がたりもおぼし合することもやと思ひていと怪しき梵字とかいふやうなるあとに侍るめれど、御覽じ留むべきふしもやまじり侍るとてなむ。今はとて別れにしかども、猶こそ哀は殘り侍るものなりけれ」とて、さまよく打ち泣き給ふ。とり給ひて「いとかしこく猶ほれぼれしからずこそあるべけれ。手などもすべて何事もわざというそくにしつべかりける人の、唯この世なる方の心おきてこそすくなかりけれ。かの先祖のおとゞはいと賢くありがたき志を盡しておほやけに仕うまつり給ひける程に、ものゝたがひめありてそのむくいにかく末はなきなりなど人いふめりしを、女子の方につけたれど、かくていとつぎなしといふべきにはあらぬもそこらのおこなひのしるしにこそあらめ」など淚おしのごひ給ひつゝ、この夢のわたりに目とゞめ給ふ。怪しくひがひがしくすゞろに高き志ありと人もとがめ、またわれながらもさるまじきふるまひをかりにてもするかなと思ひしことは、この君の生れ給ひし時に契深く思ひ知りにしかど、目の前に見えぬあなたのことは、覺束なくこそ思ひ渡りつれ、さらばかゝるたのみありてあながちには望みしなりけり、よこさまにいみじきめを見漂ひしもこの人ひとりのためにこそありけれ、いかなるぐあんをか心に起しけむとゆかしければ、心の內に拜みてとり給ひつ。これは又具して奉るべ