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せて見放ち聞ゆべきなゝりな、隔てゝ今はたれもたれもさし放ちさかしらなどのたまふこそをさなけれ。まづはかやうにはひかくれてつれなくいひおとし給ふめりかし」とて御几帳をひきやり給へればもやの柱によりかゝりていと淸げに心はづかしげなるさましてものし給ふ。ありつる箱も惑ひかくさむもさまあしければさておはするを「なその箱ぞ深き心あらむけさう人の長歌詠みてふんじこめたる心地こそすれ」とのたまへば「あなうたてや今めかしくなりかへらせ給ふめる御心ならひに聞き知らぬやうなる御すさびごともこそ時々出でくれ」とてほゝゑみ給へれど物哀なりける御氣色どもしるければ、あやしとうちかたぶき給へるさまなれば煩しくて「かの明石の岩屋より忍びて侍りし御いのりの卷じゆ又まだしきぐわんなどの侍りけるを御心にも知らせ奉るべきをりあらば御覽じ置くべきやとて侍るを只今はついでなくて何にかはあけさせ給はむ」と聞え給ふに、實に哀なるべき有樣ぞかしとおぼして「いかに行ひまして住み給ひにたらむ。命長くてこゝらのとしごろつとむる罪もこよなからむかし。世の中によしあるさかしき方々の人とて見るにも、この世にそみたる程のにごり深きにやあらむ、かしこき方こそあれ、いとかぎりありつゝ及ばざりけりや。さもいたり深くさすがに氣色ありし人の有樣かな。ひじりだちこの世離れがほにもあらぬものから、したの心は皆あらぬ世にかよひ住み渡るとこそ見えしか。まして今は心苦しきほだしもなく思ひ離れにたらむをや。かやすき身ならば忍びていとあはまほしくこそ」との給ふ。「今はかの侍りし所をもすて鳥の音聞えぬ山にとなむ聞き侍る」と聞ゆれば「さらばその遺言な