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りけることをこそいみじう悲しと思ひてのたまひしか」とのたまふ。「いざや下すはたしかならぬことをもいひ侍るものをと思ひ侍れど、かしこに侍りける下童の唯この比宰相が里に出でまうできてたしかなるやうにこそいひ侍りけれ。かくあやしうてうせ給へること人に聞かせじ、おどろおどろしくおぞきやうなりとていみじくかくしけることゞもとや。さて委しくは聞かせ奉らぬにやありけむ」と聞ゆれば「更にかゝる事又まねぶなどいはせよ。かゝるすぢに御身をももてそこなひ人にも心づきなきものに思はれ給ふべきなめり」と、いみじう覺えたり。その後姬宮の御方より二宮に御せうそこありけり。御手などのいみじううつくしげなるを見るにもいとうれしく、かくてこそ疾く見るべかりけれとおぼす。數多をかしき繪どもおほく大宮も奉らせ給へり。大將殿うちまさりてをかしきども集めてまゐらせ給ふ。せり川の大將のとを君の女一宮思ひかけたる秋の夕暮に思ひ侘びて出でいきたるかたをかしう書きたるをいとよく思ひよせらる。しかばかりおぼしなびく人のあらましかばと思ふ身ぞ口をしき。

 「荻の葉に露ふきむすぶ秋風も夕ぞわきて身にはしみける」と書きてもそへまほしくおぼせど、さやうなる露ばかりの氣色にても漏りたらばいと煩はしげなる世なればはかなきこともえほのめかし出づましく、かく萬に何やかやと物を思ひ思ひのはては昔の人ものしたまはましかばいかにもいかにも外ざまに心わけましや、時のみかどの御娘を給ふともえ奉らざらまし、又さ思ふ人ありと聞しめしながらはかゝる事もなからましを、猶心うく我が