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人もこそ見つけてさわがるれと思ひければまどひ入る。この直衣姿を見つくるに誰ならむと心さわぎておのがさま見えむことも知らず、簀子よりたゞきにくれば、ふとたちさりて誰とも見えじ。すきずきしきやうなりと思ひて隱れ給ひぬ。このおもとはいみじきわざかな、御几帳をさへあらはにひきなしてけるよ、左の大殿の君達ならむ、うとき人はたこゝまでくべきにもあらず、物の聞えあらば誰かさうじあけたりしと必ず出できなむ、ひとへも袴もすゞしなめりと見えつる人の御姿なればえ人も聞きつけ給はぬならむかしと思ひこうじてをり。かの人はやうやうひじりになりし心をひとふしたがへそめて樣々なる物思ふ人ともなるかな、そのかみ世を背きなましかば今は深き山に住みはてゝかく心亂らましやはなどおぼし續くるもやすからず。などて年比見奉らばやと思ひつらむ、なかなか苦しうかひなかるべきわざにこそと思ふ。つとめて起き給へり。女宮の御かたちいとをかしげなめるはこれより必ず優るべきことかはと見えながら、更に似給はずこそありけれ、あさましきまであてにかをりえもいはざりし御さまかな、かたへは思ひなしかをりからかとおぼして「いとあつしや。これより薄き御ぞ奉れ。女は例ならぬ物着たるこそ時々につけてをかしけれ」とてあなたに參りて大貳に「うすものゝひとへの御ぞ縫ひてまゐれといへ」とのたまふ。御前なる人はこの御かたちのいみじき盛りにおはしますをもてはやし聞え給ふとをかしう思へり。例のねんづし給ふ我が御方におはしましなどして、晝つかた渡り給へれば、のたまひつる御ぞ御几帳にうちかけたり。「なぞこは奉らぬ。人おほく見る時なむすきたる物着たるは傍側に