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はればれしくしつらひたれば、なかなか几帳どもの立てちがへたるあはひより見とほされてあらはなり。ひを物の蓋に置きてわるとてもてさわぐ人々おとな三人ばかり童と居たり。唐ぎぬも汗衫も着ず皆うちとけたれば御前とは見給はぬに白きうすものゝ御ぞ着給へる人の手にひを持ちながらかく爭ふを少しゑみ給へる御顏いはむ方なく美しげなり。いとあつさの堪へがたき日なればこちたき御髮の苦しうおぼさるゝにやあらむ、少しこなたになびかしてひかれたる程たとへむものなし。こゝらよき人を見集むれど似るべくもあらざりけりと覺ゆ。御前なる人は誠に土などの心地ぞするを、思ひしづめて見れば黃なるすゞしのひとへ薄色なる裳着たる人の扇うちつかひたるなど用意あらむはやとふと見えてなかなか物あつかひにいと苦しげなり。「唯さながら見給へかし」とて笑ひたるまみ愛敬づきたり。聲聞くにぞこの志の人とはしりぬる。心づよくわりて手每にもたり。かしらにうち置き胸にさしあてなどさまあしうする人もあるべし。この人は紙につゝみて御前にもかくて參らせたればいと美しき御手をさしやり給ひてのごはせ給ふ。「いなもたらじ。しづくむつかし」とのたまふ御聲いとほのかに聞くも限りもなく嬉し。またいとちひさくおはしましゝ程にわれも物の心も知らで見奉りし時めでたのちごの御さまやと見奉りし。その後絕えてこの御けはひをだに聞かざりつるものをいかなる神佛のかゝる折見せ給へるならむ、例のやすからず物思はせむとするにやあらむと、かつはしづ心なくてまもり立ちたる程に、こなたの對の北面にすゞみける下臈女房のこのさうじはとみの事にてあけながらおりにけるを思ひ出でゝ