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らず。

 「つれなしとこゝら世を見るうき身だに人の知るまで歎きやはする。このよろこび哀なりし折からもいとゞなむ」など云ひに立ちより給へり。いと耻しげにものものしげにてなべてかやうになどもならはし給はぬ人からもやんごとなきにいと物はかなき住ひなりかし。つぼねなどいひてせばくほどなきやりどぐちにより居給へる、かたはらいたく覺ゆれど、さすがにあまりひげしてもあらでいとよき程に物なども聞ゆ。見し人よりもこれは心にくきけそひてもあるかな、などてかく出でたちけむ、さるものにて我もおいたらましものをとおぼす。人しれぬすぢはかけても見せ給はずはちすの花の盛に御八講せらる。六條院の御ため紫の上など皆おぼしわけつゝ御經佛など供養せさせ給ひていかめしく尊くなむなりける。五卷の日などはいみじき見物なりければ、こなたかなた女房につきて參りて物見る人多かりけり。五日といふあさ座にはてゝ御堂の飾とりさけ御しつらひあらたむるに、北の廂もさうじども放ちたりしかば皆入りたちてつくろふ程、西の渡殿に姬宮おはしましけり。物きゝこうじて女房もおのおの局にありつゝ御前はいと人少なゝる夕暮に、大將殿直衣着かへて、今日まかづる僧の中に必のたまふべき事あるにより釣殿の方におはしたるに、皆まかでぬれば池の方にすゞみ給ひて人少なゝるに、かくいふ宰相の君などかりそめに几帳などばかり隔てゝうちやすむうへつぼねしたり。こゝにやあらむ人のきぬの音するとおぼしてめだうの方のさうじの細く明きたるよりやをら見給へば、例さやうの人の居たるけはひには似ず