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きを見るにいきたちましかば我が身にならふべくもあらぬ人の御宿世なりけりと思ふ。宮の上も誦經し給ひ七僧のまへのこともせさせ給ひけり。今なむ、かゝる人もたまへりけりとみかどまで聞しめしておろかにもあらざりける人を宮にかしこまり聞えてかくしおき給ひけるを、いとほしとおぼしける。二人の人の御心の中ふりずかなしくあやにくなりし御思のさかりにかきたえてはいといみじけれどあだなる御心はなぐさむやなど試み給ふこともやうやうありけり。かの殿はかくとりもちて何やかやとおぼして殘の人をはぐゝませ給ひても猶いふかひなき事を忘れ難くおぼす。后の宮の御きやうぶくの程は猶かくておはしますに二の宮なむ式部卿になり給ひにける。おもおもしうて常にしも參り給はず。この宮はさうざうしく物哀なるまゝに一品の宮の御方をなぐさめ所にし給ふ。よき人のかたちをもえまほに見給はぬのこりおほかり。大將殿のからうじていと忍びて語らひ給ふ。小宰相の君といふ人かたちなども淸げなり。心ばせある方の人とおぼされたり。同じことを搔きならすつま音もばち音も人にはまさり文をかき物うちいひたるもよしあるふしをなむそへたりける。この宮も年比いといたきものにし給ひて例のいひやぶり給へど、などかさしもめづらしげなくはあらむと心强くねたきさまなるを、まめ人はすこし人より異なりとおぼすになむありける。かく物おぼしたるさまも見知りければ忍びあまりて聞えたり。

 「あはれしる心は人におくれねど數ならぬ身にきえつゝぞふる。かへたらば」とゆゑある紙に書きたり。物哀なる夕ぐれしめやかなるほどをいとよく推し量りていひたるもにくか