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聞ゆるかぎりは心のみさわぎ給ひて、からをだに尋ねずなりにける事あさましくても止みぬるかな、いかなるさまにていづれの底のうつせにまじりけむなどやる方なくおぼす。かの母君は京に子うむべきむすめのことによりつゝしみさわげば例の家にもえいかず、すゞろなる旅居のみして思ひ慰む折もなきに、又これもいかならむと思へどたひらかに產みてけり。ゆゝしければえよらず。殘の人々のうへも覺えずほれまどひてすぐすに大將殿より御使忍びてあり。物覺えぬ心地にもいとうれしくあはれなり。「あさましきことはまづ聞えむと思ひ給へしを、心ものどまらず目もくらき心地して、まいていかなる闇にか惑はれ給ふらむとその程を過ぐしつるに、はかなくて日比も經にけることをなむ。世のつねなさもいとゞ思ひのどめむかたなくのみ侍るを思の外にもながらへば過ぎにしなごりとは必ずさるべき事にも尋ね給へ」などこまかに書き給ひて御使にはかの大藏大夫をぞ給へりける。「心のどかに萬を思ひつゝ年比にさへなりにける程必ずしも志あるやうには見給はざりけむ。されど今より後何事につけても必ずわすれ聞えじ。又さやうにを人しれず思ひ聞え給へをさなき人どもゝあなるを、おほやけに仕うまつらむにも必後見思ふべくなむ」などことばにものたまへり。「痛くしも忌むまじきけがらひなれば深うもふれ侍らず」などいひなしてせめてよびすゑたり。御返りなくなくかく。「いみじき事にしなれ侍らぬ命を心うく思ひ給へ歎き侍るに、かゝる仰言見給ふべかりけるにやとなむ年比は心細きありさまを見給へながらそれは數ならぬ身のをこたりに思ひ給へなしつゝ忝き御ひとことを行く末長く賴み聞えさせ侍り