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けり、たうじのみかど后のさばかりかしづき奉り給ふ御子かほかたちよりはじめて、只今の世にはたぐひおはせざめり、見給ふ人とてもなのめならずさまざまにつけて限りなき人をおきてこれに御心を盡し、世の人立ちさわぎてずほうどきようまつりはらへと道々にさわぐはこの人をおぼすゆかりの御心ちのあやまりにこそはありけれ、我れもかばかりの身にて時のみかどの御むすめをもち奉りながらこの人のらうたく覺ゆる方は劣りやはしつる、まして今はと覺ゆるには心をのどめむ方なくもあるかな。さるはをこなり、かゝらじと思ひ忍ぶれどさまざまに思ひ亂れて「人木石にあらざれば皆なさけあり」とうちずして臥し給へり。後のしたゝめなどもいとはかなくしてけるを、宮にもいかゞ聞き給ふらむといとほしくあへなく母のなほなほしくてはらからあるはなどさやうの人はいふ事あなるを思ひて事そぐなりけむかしなど心づきなくおぼす。おぼつかなさも限りなきをありけむさまもみづから聞かまほしとおぼせどながごもりし給はむもびんなし。いきといきて立ちかへらむも心苦しなどおぼしわづらふ。月たちて今日ぞ渡らましとおぼし出で給ふ日の夕暮いと物あはれに御前近き橘の香のなつかしきに杜鵑の二聲ばかりなきてわたる。「宿にかよはゞ」とひとりごち給ふも飽かねば、北の宮にこゝに渡り給ふ日なりければ橘折らせて聞え給ふ。

 「忍びねや君もなくらむかひもなき死出のたをさに心かよはゞ」。宮は女君の御さまのいとよく似たるを、哀とおぼして二所ながめ給ふ折なりけり。氣色ある文かなと見給ひて、

 「橘のかをるあたりはほとゝぎすこゝろしてこそなくべかりけれ。わづらはし」と書き給