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にも侍らねどゆゝしき事を近う聞き侍れば、心の亂れ侍るほどもいまいましうて」など聞え給ひて盡せずはかなくいみじき世を歎き給ふ。ありしさまかたちいと愛敬づきをかしかりしけはひなどのいみじく戀しく悲しければ、うつゝの世にはなどかくしも思ひ入れずのどかにて過ぐしけむ。只今は更に思ひしづめむ方なきまゝに悔やしき事の數知らず、かゝることのすぢにつけていみじう物思ふべき宿世なりけり。さまことに心ざしたりし身の思の外にかく例の人にてながらふるを佛などのにくしと見給ふにや、人の心を起させむとて佛のし給ふ方便は慈悲をもかくしてかやうにこそはあなれと思ひつゞけ給ひつゝ行ひをのみし給ふ。かの宮はたまして二三日は物も覺え給はず、うつしこゝろもなきさまにていかなる御ものゝけならむなどさわぐに、やうやう淚つくし給ひておぼししづまるにしもぞ、ありしさまは戀しういみじく思ひ出でられ給ひける。人には唯御病の重きさまをのみ見せてかくすゞろなるいやめの氣色知らせじと、かしこくもてかくすとおぼしけれどおのづからいとしるかりければ「いかなることにかくおぼし惑ひ御命もあやふきまでしづみ給ふらむ」といふ人もありければかの殿にもいとよくこの御氣色を聞き給ふに、さればよ、猶よその文通はしのみにはあらぬなりけり。見給ひては必ずさおぼしぬべかりし人ぞかし。ながらへましかばたゞなるよりは我がためにをこなる事も出できなましとおぼすになむ、こがるゝ胸も少しさむる心地し給ひける。宮の御とぶらひに日々に參り給はぬ人なく、世のさわぎとなれる比ことごとしききはならぬ思ひに籠りゐて參らざらむもひがみたるべしとおぼして參り給ふ。そ