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すまなどやうの物を取りいれてめのとごのだいとこそれがをじの阿闍梨その弟子の睦しきなどもとより知りたる老法師など御忌に籠るべき限りして人のなくなりたるけはひにまねびて出し立つるを、めのと母君はいといみじくゆゝしとふしまろぶ。大夫うどねりなどおどし聞えしものどもゝ參りて「御葬送の事は殿にことのよし申させ給ひて、日定められていかめしうこそ仕うまつらめ」などいひけれど「殊更にこよひ過すまじ、いと忍びてと思ふやうあればなむ」とてこの車をむかひの山の前なる原にやりて人も近うもよせず、このあない知りたる法師のかぎりしてやかす。いとはかなくてけぶりははてぬ。田舍人どもはなかなかかゝる事をことごとしくしなしこといみなど深くするものなりければ、「いとあやしう例の作法などあることゞもゝし給はず、げすげすしくあへなくてせられぬることかな」と謗りければ、かたへおはする人は「殊更にかくなむ、京の人はし給ふなる」などさまざまになむ安からずいひける。かゝる人どもの言ひ思ふことだに包ましきを、まして物の聞えかくれなき世の中に大將殿わたりにからもなくうせ給ひにけりと聞かせ給はゞ必ず思ほし疑ふこともあらむを宮はた同じ御なからひにてさる人のおはしおはせず暫しこそ忍ぶともおぼさめ、遂にはかくれあらじ又定めて宮をしも疑ひ聞え給はじ、いかなる人か居てかくしけむなどぞおぼしよせむかし、いき給ひての御宿世はいと氣高くおはせし人のげになきかげにいみじき事をや疑はれ給はむと思へば、こゝのうちなる下人どもにもけさのあわだゝしかりつるまどひに氣色も見聞きつるには口かため、あないしらぬには聞かせじなどぞたばかりける。ながら