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日比も物おぼしたりつるさま一夜いと心苦しと思ひ聞えさせ給へりし有樣なども聞えさせ侍るべき。このけがらひなど人の忌み侍るほど過ぐして今一度たちより給へ」といひて泣くこといみじ。內にも泣く聲々のみして乳母なるべし。「あが君やいづかたにかおはしましぬる。かへり給へ。空しきからをだに見奉らぬがかひなく悲しくもあるかな。明暮見奉りても飽かず覺え給ひいつしかかひある御さまを見奉らむとあしたゆふべに賴み聞えつるこそ命ものび侍りつれ。うち捨て給ひてかく行くへも知らせ給はぬ事鬼神もあが君をばえらうじ奉らじ。人のいみじく惜む人をばたいしやくも返し給ふなり。あが君を取り奉らむ人にまれ鬼にまれ返し奉れ。なき御からをも見奉らむ」といひつゞくるが心得ぬことどもまじるをあやしと思ひて「猶のたまへ。もし人のかくしも聞え給へるかたしかに聞しめさむと御身のかはりに出し立てさせ給へる御使なり。今はとてもかくてもかひなきことなれど、後にも聞しめしあはすることの侍らむに違ふことまじらば參りたらむ御使の罪になるべし。又さりともと賴ませ給ひて君達に對面せよと仰せられつる御心ばへも辱しとはおぼされずや。女の道に惑ひ給ふことは人の御門にも深きためしどもありけれど、又かゝることこの世にはあらじとなむ見奉る」といふに、げにいと哀なる御使にこそあれ、かくすとすとも、かくて例ならぬ事のさま、おのづから聞えなむと思ひて、「などかいさゝかにても人やかくい奉り給ふらむと思ひよるべき事あらむにはかくしもあるかぎり惑ひ侍らむ。日比いといみじく物をおぼしいるめりしかば、かの殿のわづらはしげにほのめかし聞え給ふことなどもありき。御母に物し給