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にあたりてなむまどひ給ふ」といふ。心も深く知らぬをのこにて委しうも問はでまゐりぬ。「かくなむ」と申させたるに夢と覺えていとあやし。いたくわづらふとも聞かず、日比なやましとのみありしかど昨日の返事はさりげもなくて常よりもをかしげなりしものをと覺しやる方なければ「時方いきて氣色見、たしかなる事問ひ聞け」とのたまへば、「かの大將殿いかなる事か聞き給ふこと侍りけむ、とのゐするものおろかなりなどいましめ仰せらるゝとて下人の罷り出づるをも見とがめ問ひ侍るなれば、ことづくることなくて時方まかりたらむを物の聞え侍らばおぼしあはすることなどや侍らむ。さて俄に人のうせ給ひつらむ所はろなうさわがしく人しげく侍らむを」と聞ゆ。「さりとていとおぼつかなくてやあらむ。猶とかくさるべきさまにかまへて例の心知れる侍從などにあひていかなる事をかくいふぞとあないせよ。げすはひがごともいふなり」とのたまへば、いとほしき御氣色もかたじけなくて夕つかたゆく。かやすき人は疾くいきつきぬ。雨少し降りやみたれどわりなき道にやつれてげすのさまにて來たれば人多く立ちさわぎて「今宵やがてをさめ奉るなり」などいふを聞く心地もあさましく覺ゆ。右近にせうそこしたれどもえあはず。「只今物おぼえず起きあがらむ心ちもせでなむ。さるはこよひばかりこそかくも立ちより給はめ。え聞えぬこと」といはせたり。「さりとてかく覺束なくてはいかゞ歸り侍らむ。今一所だに」とせちにいひたれば侍從ぞあひたりける。「いとあさましくおぼしもあへぬさまにてうせ給ひにたればいみじといふにもあかず夢のやうにて誰もたれも惑ひ侍るよし申させ給へ。少し心地ものどめ侍りてなむ。