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えむ」と乳母よりはじめてあわて惑ふことかぎりなし。思ひうる方なくて唯さわぎあへるをかの心知れるどちなむ、いみじく物を思ひ給へりしさまを思ひ出づるに身をなげ給へるとは思ひよりける。なくなくこの文をあけたれば「いとおぼつかなさにまどろまれ侍らぬけにや、今宵は夢にだにうちとけても見えず物におそはれつゝ心地も例ならずうたて侍るを、猶いとおそろしく物へわたらせ給はむことは近くなれど、そのほどこゝに迎へ奉りてむ。今日は雨降り侍りぬべければ」などあり。よべの御かへりをもあけて見て右近いみじくなく。さればよ、心ぼそきことは聞え給ひけり、我れになどかいさゝかのたまふことのなかりけむ、をさなかりし程よりも露心おかれ奉ることなくちりばかりへだてなくて習ひたるに、今はかぎりの道にしも我れをおくらかし、氣色をだに見せ給はざりけるがつらきことゝ思ふに、足ずりといふことをして泣くさま若き子どものやうなり。いみじくおぼしたる御氣色は見奉り渡れど、かけてもかくなべてならずおどろおどろしき事おぼしよらむものとは見えざりつる人の御心ざまを、猶いかにしつる事にかとおぼつかなくいみじ。乳母はなかなか物も覺えで唯「いかさまにせむ、いかさまにせむ」とぞいはれける。宮にもいと例ならぬ氣色ありし御返りいかに思ふならむ、我をさすがにあひ思ひたるさまながらあだなる心なりとのみ深く疑ひたれば、外へいき隱れむとにやあらむとおぼしさわぎて御使あり。あるかぎり泣きまどふ程にきて御文もえ奉らず「いかなるぞ」とげす女に問へば、「上の今宵俄にうせ給ひにければ物もおぼえ給はず。たのもしき人もおはしまさぬをりなればさぶらひ給ふ人々は唯物