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き事なども語る。大夫「おはします道のおぼろけならず、あながちなる御氣色に、あへなく聞えさせむことなむたいだいしき。さらばいざ給へ、共に委しく聞えさせ給へ」といざなふ。「いとわりなからむ」といひしろふ程に、夜もいたく更け行く。宮は御馬にて少し遠く立ち給へるに、さとびたる犬どもの出で來てのゝしるもいとおそろしく、人ずくなにいと怪しき御ありきなれば、すゞろならむものゝ走り出で來たらむも、いかさまにかと侍ふかぎり心をぞ惑はしける。「猶疾く疾く參りなむ」といひさわがしてこの侍從をゐて參る。かみわきよりかいこして、やうだいいとをかしき人なり。馬に乘せむとすれど更にきかねば、きぬの裾をとりて立ちそひて行く。我がくつをはかせて、みづからは供なる人のあやしきものをはきたり。參りて「かくなむ」と聞ゆれば、語らひ給ふべきやうだになければ、やまがつの垣根のおどろむぐらの影に、あふりといふ物を敷きておろし奉る。我が御心ちにも、あやしきありさまかな、かゝる道にそこなはれて、はかばかしくはえあるまじき身なめりとおぼし續くるに、泣き給ふことかぎりなし。心よわき人は、ましていといみじく悲しと見奉る。いみじきあだ、おににつくりたりとも、おろかに見捨つまじき人の御有樣なり。ためらひ給ひて、「唯ひとこともえ聞えさすまじきか。いかなれば今更にかゝるぞと、猶人々のいひなしたるやうあるべし」とのたまふ。有樣委しく聞えて、「やがてさ思し召さむ日を、かねてさべきさまにたばからせ給へ。かく忝き事どもを見奉り侍れば、身を捨てゝも思ひ給へたばかり侍らむ」と聞ゆ。我も人目をいみじくおぼせばひと方に怨み給はむやうもなし。夜はいたく更け行く