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心留めて書きかはし給へる文は人にこそ見せさせ給はざらめ、物の底におかせ給ひて御覽ずるなむ、ほどほどにつけてはいと哀にはべる。さばかりめでたき御紙つかひ、かたじけなき御言の葉を盡させ給へるを、かくのみやらせ給ふ、なさけなきこと」といふ。「何か、むつかしく長かるまじき身にこそあめれ。おちとゞまりて、人の御ためもいとほしからむ、さかしらにこれを取り置きけむよなど、漏り聞き給はむこそ恥しけれ」などのたまふ。心細き事を思ひもて行くには、まだえ思ひ立つまじきわざなりけり。親をおきてなくなる人は、いと罪深くなるものをなど、さすがにほの聞きたることをも思ふ。廿日あまりにもなりぬ。かの家あるじ、廿八日にくだるべし。宮は「その夜必ず迎へむ。しもびとなどに、よく氣色見ゆまじき心づかひし給へ。こなたざまよりは夢にも聞えあるまじ。疑ひ給ふな」などのたまふ。さてあるまじきさまにて、おはしたらむに、今一たび物をも聞えず、おぼつかなくて返し奉らむことよ、又時のまにても、いかでこゝには寄せ奉らむとする、かひなく恨みて歸り給はむさまなどを思ひやるに、例のおもかげ離れず、絕えず悲しくて、この御文を顏におしあてゝ、しばしはつゝめども、いといみじくなき給ふ。右近「あが君、かゝる御氣色遂に人見奉りつべし。やうやう怪しなど思ふ人も侍るべかめり。かうかゝづらひ思ほさで、さるべきさまに聞えさせ給ひてよ。右近侍らば、おほけなきことも、たばかり出し侍らば、かばかり小き御身ひとつは、空よりもゐて奉らせ給ひなむ」といふ。とばかりためらひて、「かくのみいふこそいと心憂けれ。さもありぬべきことゝ思ひかけばこそあらめ、あるまじきことゝ皆思ひとる