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と、恐れ申しはべる」といふを聞くに、ふくろふの鳴かむよりも、いとものおそろし。いらへもやらで、「さりや聞えさせしに、違はぬ事どもを聞しめせ。物の氣色御覽じたるなめり。御せうそこも侍らぬよ」などなげく。めのとはほのうち聞きて「いと嬉しく仰せられたり。ぬすびと多かなるわたりにとのゐ人も始のやうにもあらず。皆身のかはりぞといひつゝ、あやしきげすをのみ參らすれば、やぎやうをだにせぬに」とよろこぶ。君はげに只今いと惡しくなりぬべき身なめりとおぼすに、宮よりはいかにいかにと苔の亂るゝわりなさをのたまふ。いとわづらはしくなむ、とてもかくても、ひとかたひとかたにつけて、いとうたてあることは出できなむ、わが身ひとつのなくなりなむのみこそめやすからめ、昔は懸想ずる人の有樣の、いづれとなきに思ひ煩ひてだにこそ身を投ぐるためしもありけれ、ながらへば、必ずうきこと見えぬべき身の、なくならむは何か惜しかるべき、親も暫しこそ歎き給はめ、あまたの子どもあつかひに、おのづから忘草つみてむ、ありながらもてそこなひ、人わらへなるさまにてさすらへむは、まさる物思ひなるべしなど思ひなる。こめきおほどかに、たをたをと見ゆれど、けだかう世の有樣をも知る方すくなくて、おふしたてたる人にしあれば、少しおす〈ぞイ〉かるべきことを思ひよるなりけむかし。むつかしきほぐなどやりて、おどろおどろしく一たびにもしたゝめず、とうだいの火に燒き、水に投げ入れさせなど、やうやう失ふ。心知らぬごだちは、物へ渡り給ふべければ、つれづれなる月日を經て、はかなくし集め給へる手習などをやり給ふなめりと思ふ。侍從などぞ見つくる時は、「などかくはせさせ給ふ。哀なる御中に、御