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しならせ給へ。いでやいとかたじけなくいみじき御氣色なりしかば、人のかくおぼし急ぐめりし方に心もよらずしばしはかくろへても御思ひのまさらせ給はむによらせ給ひねとぞ思ひ侍る」と、宮をいみじくめで聞ゆる心なれば、ひたみちにいふ。「いさや右近は、とてもかくても事なくすぐさせ給へと初瀨石山などにぐわんをなむ立て侍る。この大將殿のみぞうの人々といふものは、いみじきぶだうのものどもにてひとるゐこの里にみちて侍るなり。おほかたこの山城大和に殿のりやうじ給ふ所々の人なむ皆このうどねりといふものゝゆかりかけつゝ侍るなる。これが聟の右近の大夫といふものを本として萬の事をおきて仰せられたなるなり。善き人の御中どちはなさけなきことし出でよとおぼさずとも、物の心得ぬ田舍人どものとのゐびとにて、かはりがはりさぶらへば、おのが番に當りて聊なる事もあらせじなど、あやまちもし侍りなむ、ありしよの御ありきは、いとこそむくつけく思ひ給へられしか、宮はわりなくつゝませ給ふとて御供の人もゐておはしまさず。やつれてのみおはしますを、さるものゝ見つけ奉りたらむは、いといみじくなむ」と言ひ續くるを、君猶我を宮に心よせ奉りたると思ひてこの人々のいふ、いと耻しく、心地にはいづれとも思はず唯夢のやうにあきれて、いみじく入られ給ふをば、などかくしもとばかり思へど、たのみ聞えて年頃になりぬる人を今はともて離れむと思はぬによりこそ、かくいみじとものも思ひ亂るれ。げによからぬ事も出で來らむ時と、つくづくと思ひ居たり。「まろはいかで死なばや。世づかず心憂かりける身かな。かく憂きことあるためしは、げすなどの中にだにも多くやはあなる」とて、