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に召し寄せたり。「道定のあそんは猶仲信が家にやかよふ」。「さなむ侍る」と申す。宇治へは常にや、このありけむをのこはやるらむ。かすかにて居たる人なれば道定も思ひかくらむかしと、うちうめき給ひて、「人に見えでをまかれ。をこなり」とのたまふ。かしこまりて。少輔が常にこの殿の御事あないし、かしこの事問ひしも思ひ合すれど物慣れて得申し出でず。君もげすにくはしくは知らせじとおぼせば問はせ給はず。かしこには、御使の例よりしげきにつけても物思ふことさまざまなり。たゞかくぞのたまへる。

 「波こゆるころともしらず末の松まつらむとのみ思ひけるかな。人に笑はせ給ふな」とあるを、いと怪しと思ふに、胸もふたがりぬ。御返り事を心えがほに聞えむも、いとつゝましく、ひがごとにてあらむも怪しければ、御文はもとのやうにして「ところたがへのやうに見え侍ればなむ、怪しく惱ましくて何事も」と書きそへて奉りつ。見給ひて、さすがにいたくもしたるかな、かけて見及ばぬ心ばへよとほゝゑまれ給ふも、にくしとは得おぼしはてぬなめり。まほならねどほのめかし給へる氣色を、かしこにはいとゞ思ひそふ。遂に我が身はけしからず怪しくなりぬべきなめりと、いとゞ思ふ所に右近來て、「殿の御文は、などて返し奉らせ給ひつるぞ。ゆゝしくいみ侍るなるものを」といへば、「ひがごとのあるやうに見えつれば所たがへかとて」とのたまふ。あやしと見ければ道にてあけて見けるなりけり。よからずの右近がさまやな。見つとはいはであないとほし。「苦しき御事どもにこそ侍れ。殿は物の氣色御覽じたるべし」といふに、おもてざとあかみて物ものたまはず、文見つらむとは思はねば、