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て、あやしきまで知るべし、ゐてありき奉りし身にしも、うしろめたくおぼしよるべしやと思ふに、いと心づきなし。對の御方の御事をいみじく思ひつゝ年頃すぐすは、我が心のおもさはこよなかりけり、さるはそれ今は始めて、さま惡しかるべき程にもあらず、もとよりのたよりにもよれるを、唯心のうちの隈あらむは我がためも苦しかるべきによりこそ思ひ憚るもをこなるわざなりけれ、この頃かくなやましくし給ひて例よりも人しげきまぎれに、いかではるばるとかきやり給ひつらむ、おはしやそめにけむ、いと遙なるけさうの道なりや、怪しくて、おはし所尋ねられ給ふ日もありと聞えきかし、さやうの事におぼし亂れて、そこはかとなく惱み給ふなるべし、昔をおぼし出づるにも、えおはせざりし程のなげきは、いといとほしげなりきかしとつくづくと思ふに、女のいたく物思ひたるさまなりしも、かたはし心えそめ給ひては、萬おぼしあはするにいとうし。ありがたきものは人の心にもあるかな、らうたげにおぼどかなりとは見えながら色めきたる方はそひたる人ぞかし、この宮の御ぐにては、いとよきあはひなりと思ひも讓りつべく、のく心ちし給へど、やんごとなく思ひそめし人ならばこそあらめ、猶さるものにておきたらむ、いまはとて見ざらむはた戀しかるべしと人わろくいろいろ心の中におぼす。我すさまじく思ひなりて捨て置きたらば、必ずかの宮呼びとり給ひてむ、人のため後のいとほしさをも殊にたどり給ふまじ、さやうにおぼす人こそ一品の宮の御方に人二三人參らせ給ひたなれ、さて出で立ちたらむを見聞かむ、いとほしくなど猶捨てがたく、氣色見まほしくて御文つかはす。例の御隨身召して御みづから人ま