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しげにて瘠せ給へるを、めのとにもいひて、「さるべき御いのりなどをせさせ給へ。祭祓へなどもすべきやう」などいふ。みたらし川にみそぎせまほしげなるを、かくも知らでよろづにいひさわぐ。人ずくなゝめり、よくさるべからむあたりを尋ねて今まゐりはとゞめ給へ。やんごとなき御なからひは、さうじみこそ何事もおいらかにおぼさめ。よからぬなかとなりぬるあたりは煩しきこともありぬべし。かいひそめて、さる心し給へ」など、思ひ至らぬ事なくいひ置きて、かしこにわづらひ侍る人も覺束なしとてかへるを、いと物思はしくよろづ心ぼそければ又あひ見でもこそと思へば心地の惡しく侍るにも見奉らぬがいとおぼつかなく覺え侍るを、しばしも參りこまほしくこそと慕ふ。「さなむ思ひ侍れど、かしこもいと物さわがしく侍り。この人々もはかなき事などえしやるまじく、せばくなど侍ればなむ。たけふのころにうつろひ給ふとも忍びては參り來なむを。なほなほしき身のほどは、かゝる御ためこそいとほしく侍れ」など、うち泣きつゝの給ふ。殿の御文はけふもあり、惱ましと聞えたりしを、いかゞととぶらひ給へり。「みづからと思ひ侍るを、わりなきさはり多くてなむ。この程のくらし難さこそ、なかなか苦し」などあり。宮は「きのふの御返りもなかりしを、いかにおぼしたゞよふぞ。風のなびかむ方もうしろめたくなむ。いとゞほれまさりてながめ侍る」など、これは多く書き給へり。雨降りし日、きあひたりし御使どもぞけふも來たりける。殿のみ隨身、かの少輔が家にて時々見るをのこなれば、「まうどは何しにこゝにはたびたび參るぞ」と問ふ。「わたくしにとぶらふべき人のもとにまうでくるなり」といふ。「私の人にや、えんな