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くは奉り給ひて、そののこりをなむ御弟子ども六十餘人なむ親しきかぎりさぶらひける、ほどにつけて皆そぶんし給ひて、猶しのこりをなむ京の御料とて送り奉り給へる。今はとてかき籠り遙けき山の雲霞にまじり給ひにし空しき御跡にとまりて、悲び思ふ人々なむ多く侍る」など、この大とこもわらはにて京より下りたりし人の老法師になりてとまれるいと哀に心ぼそしと思へり。佛の御弟子のさかしきひじりだに鷲の峯をばたどたどしからず賴み聞えながら猶薪つきける世のまどひは深かりけるを、まして尼君の悲しと思う給へることかぎりなし。御方は南のおとゞにおはするを、かゝる御せうそこなむあるとありければ忍びて渡り給へり。重々しく身をもてなして、おぼろけならでは通ひあひ見給ふこともかたきを、哀なることなむと聞きて覺束なければ打ち忍びてものし給へるにいといみじく悲しげなる氣色にて居給へり。火近く取りよせてこの文を見給ふにげにせきとめむ方ぞなかりける。よその人は何とも目とゞむまじきことのまづ昔きし方のこと思ひ出で戀しと思ひ渡り給ふ心にはあひ見で過ぎはてぬるにこそはと見給ふにいみじくいふかひなし。淚をえせきとめず、この夢がたりをかつは行くさき賴もしく、さらばひが心にて我が身をさしもあるまじきさまにあこがらし給ふと、中ごろ思ひたゞよはれしことはかくはかなき夢にたのみをかけて心高くものし給ふなりけりとかつがつ思ひ合せ給ふ。尼君久しくためらひて「君の御德には嬉しくおもだゝしきことをも身にあまりてならびなく思ひ侍り。哀にいぶせき思ひもすぐれてこそ侍れ。數ならぬ方にてもながらへし都を捨てゝかしこにしづみ居しをだに世の人