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のひとつの思ひ近き世にかなひ侍りぬれば、遙に西の方十萬億の國隔てたる九ぼんの上の望は疑なくなり侍りぬれば、今は唯むかふるはちすを待ち侍るほどその夕まで、水草きよき山の末にてつとめ侍らむ」とてなむ、まかりいりぬる。

 「ひかりいでむ曉ちかくなりにけり今ぞ見しよの夢がたりする」とて月日かきたり。「命終らむ月日も更になしろしめしそ、いにしへより人のそめ置きける藤衣にも、何かやつれたまふ。唯我が身は變化のものとおぼしなして老法師のためにはくどくをつくり給へ。この世の樂みに添へても後の世を忘れ給ふな。願ひ侍る所にだにいたり侍りなば必又對面も侍りなむ。さばのほかの岸に到りてとくあひ見むとをおぼせ」、さてかの社にたて集めたるぐわん文どもをおほきなるぢんのふばこにふんじ籠めて奉りたり。尼君にはことごとに書かず。「唯この月の十四日になむ草のいほり罷り離れて深き山に入り侍りぬる。かひなき身をば熊狠にもせし侍りなむ。そこにはなほおもひしやうなる御世を待ち出で給へ、あきらかなる所にて又對面はありなむ」とのみあり。尼君この文を見てかの使の大とこに問へば、「この御文書き給ひて三日といふになむかの絕えたる峰にうつろひ給ひにし。なにがしらもかの御おくりに麓まではさぶらひしかど、皆かへし給ひて僧一人、わらは二人なむ御供にさぶらはせ給ふ。今はと世を背き給ひしをりを悲しきとぢめと思う給へしかどのこり侍りけり。年比おこなひのひまひまによりふしながらかきならし給ひしきんの御琴琵琶とりよせ給ひて、かいしらべ給ひつゝ佛にまかり申しし給ひてなむ御堂にせにふし給ひしさらぬものどもゝ多