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安きまゝにのたまひつけたりければ、聞きつぎて、宮にはかくれなく聞えけり。「繪師どもなども御隨身どもの中にある睦まじきとのびとなどをえりて、さすがにわざとなむせさせ給ふ」と申すにいとゞおぼしさわぎて、我が御めのとの遠きずらうのめにてくだる家下つかたにあるを「いと忍びたる人しばしかくいたらむ」と語らひ給ひければいかなる人にかはと思へど大事とおぼしたるに、かたじけなければ「さらば」と聞えけり。これを設け給ひて少し御心のどめ給ふ。この月のつごもりがたにくだるべければ、やがてその日渡さむとおぼしかまふ。「かくなむと思ふ。ゆめゆめ」といひやり給ひつゝ、おはしまさむことはいとわりなくあるうちに、こゝにも、めのといとさかしければかたかるべきよしを聞ゆ。大將殿は卯月の十日となむ定め給へりける。さそふ水あらばとは思はず、いと怪しくいかにしなすべき身にかあらむと、うきたる心地のみすれば、母の御もとにしばし渡りて思ひめぐらす程あらむとおぼせど、少將のめ、子產むべき程近くなりぬとて、ずほふどきやうなどひまなくさわげば石山にも得出でたつまじ、母ぞこち渡り給へる。めのと出で來て、「殿より人々のさうぞくなども、こまかにおぼしやりてなむ。いかで淸げに何事もと思ひ給ふれど、まゝが心ひとつには怪しくのみぞしいで侍らむかし」など、いひ騷ぐが心地よげなるを見給ふにも、君はけしからぬ事どもの出で來て、人わらへならば誰も誰もいかに思はむ、あやにくのたまふ人はた、八重たつ山にこもるとも必ず尋ねて我も人もいたづらになりぬべし。猶心やすく隱れなむことを思へど、けふものたまへるを、いかにせむと心地惡しく臥し給へり。「などか例ならず、