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繪を時々見て泣かれけり。ながらへてあるまじきことぞと、とざまかうざまに思ひなせどほかにたえ籠りてやみなむはいと哀におぼゆべし。

 「かきくらしはれせぬ峰のあま雲にうきて世をふる身をもなさばや。まじりなば」と聞えたるを、宮はよゝと泣かれ給ふ。さりとも戀しと思ふらむかしとおぼしやるにも物思ひて居たらむさまのみ、おもかげに見え給ふ。まめ人はのどかに見給ひつゝ、哀いかにながむらむと思ひやりて、いとこひし。

 「つれづれと身をしる雨のをやまねば袖さへいとゞみかさまさりて」とあるを、うちも置かず見給ふ。女宮に物語など聞え給ひてのついでに、「なめしともやおぼさむとつゝましながら、さすがに年經ぬる人の侍るを、怪しき所に捨て置きて、いみじく物思ふなるが心苦しさに近う呼び寄せてと思ひ侍る。昔より異やうなる心ばへ侍りし身にて、世の中をすべて例の人ならで見すぐしてむと思ひ侍りしを、かく見奉るにつけてひたぶるにも捨て難ければ、ありと人にも知らせざりし人のうへさへ心苦しう罪得ぬべき心ちして」など聞え給へば、「いかなることに心置くものとも知らぬを」と、いらへ給ふ。「うちになど、あしざまに聞しめさする人や侍らむと世の人の物いひぞ。いとあぢきなくけしからず侍るや。されどそれは、さばかりの數にだに侍るまじ」など聞え給ふ。つくりたる所に渡してむとおぼしたつに、かゝるれうなりけりなど花やかにいひなす人やあらむなど苦しければ、いと忍びてさうじはらすべき事など人しもこそあれ、この內記が知る人の親、大藏の大夫なるものに睦ましく心