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かりし夕暮のしるべばかりにだに、かうたづね出で給ふめり。まして我がありさまのともかくもあらむを聞き給はぬやうはありなむやと思ひたどるに、我が心もきずありて、かの人にうとまれ奉らむ、猶いみじかるべしと思ひ亂るゝをりしも、かの殿より御使あり。これかれと見るもいとうたてあれば猶事多かりつるを見つゝ臥し給へれば、侍從右近見合せて、「猶うつりにけり」といはぬやうにていふ、「ことわりぞかし。殿の御かたちをたぐひおはしまさじと見しかど、この御有樣はいみじかりけり。うち亂れ給へる愛ぎやうよ、まろならばかばかりの御思ひを見る見る、得かくてあらじ、きさいの宮にも參りて常に見奉りてむ」といふ。右近「うしろめたの御心のほどや。殿の御ありさまにまさり給ふ人は誰かはあらむ、かたちなどは知らず、御心ばへけはひなどよ。猶この御事はいと見苦しきわざかな。いかゞならせ給はむとすらむ」と、ふたりしてかたらふ。心ひとつに思ひしよりは空ごともたより出できにけり。後の御文には、「思ひながら日頃になること、時々はそれよりも、おどろかい給はむこそ思ふさまならめ。おろかなるにやは」など、はしがきに、

 「水まさるをちの里人いかならむはれぬながめにかきくらすころ。常よりも思ひやり聞ゆることまさりてなむ」と、白きしきしにてたてぶみなり。御手もこまかにをかしげならねど、書きざまゆゑゆゑしく見ゆ。宮はいと多かるをちひさく結びなし給へる、さまざまをかし。「まづかれを人見ぬ程に」と聞ゆ。「けふは得聞ゆまじ」とはぢらひて、手ならひに、

 「里の名を我身にしればやましろの宇治のわたりぞいとゞ住みうき」。宮の書き給へりし