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もてもくもりなきに「これなむ橘の小島」と申して、御船しばしさしとゞめたるを見給へば、大きやかなる岩のさまして、ざれたる常盤木の蔭繁れり。「かれ見給へ。いとはかなけれど、千年も經べき綠の深さを」とのたまひて、

 「年ふともかはらむものかたちばなの小島のさきに契るこゝろは」。女もめづらしからむ道のやうにおぼえて、

 「たちばなの小島は色もかはらじをこのうき船ぞゆくへ知られぬ」。をりから人のさまに、をかしくのみ何事もおぼしなす。かの岸にさし着きており給ふに、人に抱かせ給はむは、いと心苦しければ抱き給ひて、助けられつゝ入り給ふを、いと見苦しく、何人をかくもてさわぎ給ふらむと見奉る。時方が叔父の因幡の守なるがらうずるさうに、はかなう造りたる家なりけり。まだいとあらあらしきに、網代屛風など御覽じも知らぬしつらひにて風も殊にさはらず、垣のもとに雪むらぎえつゝ今もかき曇りつゝ降る。日さし出でゝ軒の垂水の光りあひたるに、人の御かたちもまさる心ちす。宮もところせき道の程に輕らかなるべき程の御ぞどもなり。女もぬぎすべさせ給ひてしかば、ほそやかなるすがたつき、いとをかしげなり。ひきつくろふこともなく、うちとけたるさまを、いと恥しくまばゆきまできよらかなる人にさしむかひたるよと思へど、紛れむ方もなし。なつかしき程なる白きかぎりを五つばかり、袖口裾のほどまでなまめかしく、いろいろにあまた襲ねたらむよりも、をかしうきなしたり。常に見給ふ人とても、かくまでうちとけたる姿などは見習ひ給はぬを、かゝるさへぞ猶珍ら