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しか。人のいかに聞え知らせたることのある、少しもおろかならむ志にては、かうまで參りくべき身の程、道の有樣にもあらぬを」などついたち頃の夕づく夜に、少しはし近く臥して眺めいだし給へり。男は過ぎにし方の哀をもおぼし出でゝ、女は今よりそひたる身のうさを歎き加へて、かたみに物思はし。山の方は霞隔てゝ寒き洲崎に立てるかさゝぎのすがたも處からはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばると見渡さるゝに、柴つみ船の所々に行きちがひたるなど、ほかにては目なれぬ事どものみ取り集めたる所なれば、見給ふ度ごとに猶そのかみの事の唯今の心地して、いとかゝらぬ人を見かはしたらむだに、珍しきなかの哀多くそひぬべきほどなり、まいて戀しき人によそへられたるもこよなからず、やうやう物の心知り、都なれ行くありさまのをかしきも、こよなくみまさりしたる心地し給ふに、女はかきあつめたる心のうちに催さるゝ淚、ともすれば出でたつを、慰めかね給ひつゝ、

 「宇治橋の長きちぎりは朽ちせじをあやぶむかたに心さわぐな。今見給ひてむ」との給ふ。

 「絕間のみ世にはあやうき宇治橋を朽ちせぬものと猶たのめとや」。さきざきよりもいと見捨てがたく、しばしも立ちとまらまほしくおぼさるれど、人の物いひの安からぬに、今さらなり、心安きさまにてこそなどおぼしなして曉にかへり給ひぬ。いとようもおとなびたりつるかなと心苦しくおぼし出づること、ありしにまさりけり。きさらぎの十日のほどに、內に文作らせ給ふとてこの宮も大將も參りあひ給へり。をりにあひたるものゝしらべどもに宮の御聲はいとめでたくて梅がえなど謠ひ給ふ。何事も人よりはこよなう勝り給へる御さま