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しを、げにその後御心ち苦しとて、いづくにもいづくにも例の御有樣ならで、みずほふなど騷ぐなるを聞くに、又いかに聞きておぼさむと思ふもいと苦し。この人はた、いとけはひことに心深く、なまめかしきさまして久しかりつる程のをこたりなどのたまふもこと多からず、戀し悲しとおりたゝねど、常にあひ見ぬ戀の苦しさを、さまよき程にうちのたまへる、いみじくいふには勝りて、いと哀と人の思ひぬべきさまをしめ給へる人がらなり。えんなる方はさるものにて行く末長く人のたのみぬべき心ばへなど、こよなくまさり給へり。思はずなるさまの心ばへなど漏り聞かせたらむ時、なのめならずいみじくこそあべけれ、あやしううつしごゝろもなう覺しいらるゝ人を哀と思ふも、それはいとあるまじく輕きことぞかし、この人に憂しと思はれて忘れ給ひなむ心ぼそさは、いと深うしみぬべければ、思ひ亂れたる氣色を月頃にこよなう物の心知り、ねびまさりにけり。つれづれなるすみかのほどに思ひ殘す事はあらじかしと見給ふも心苦しければ、常よりも心とゞめて語らひ翁ふ。「つくらする所やうやうよろしうしなしてけり。一と日なむ見しかば、此所よりはけぢかき水に花も見給ひつべし。三條宮も近き程なり。明暮覺束なきへだてもおのづからあるまじきを、この春の程に、さりぬべくは渡してむ」と思ひてのたまふも、かの人の長閑なるべき所、思ひまうけたりと、きのふものたまへりしを、かゝることも知らで、さおぼすらむよと、哀ながらもそなたに靡くべきにはあらずかしと思ふからに、ありし御さまの面影におぼゆれば、我ながらもうたて心うの宮と思ひつゞけて泣きぬ。御心ばへのかゝらでおいらかなりしこそ長閑に嬉しかり