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よとおぼす。例はさしもあらぬことの序にだに我はまめ人ともてなし、名のり給ふをねたがり給ひて、萬にのたまひやぶるを、かゝること見あらはいたるを、いかにのたまはまし。されどさやうの戯ぶれどもかけ給はず、いと苦しげに見え給へば、「ふびんなるわざかな。おどろおどろしからぬ御心のさすがに日かずふるは、いと惡しきわざに侍る。御かせよくつくろはせ給へ」など、まめやかに聞え置きて出で給ひぬ。恥しげなる人なりかし、我が有樣をいかに思ひくらべけむなど、さまざまなることにつけつゝも、たゞこの人を時のま忘れずおぼし出づ。かしこには石山もとまりて、いとつれづれなり。御文には、いといみじきことを書き集め給ひてつかはす。それだに心安からず、時方と召しゝ大夫のずさの心も知らぬしてなむやりける。右近がふるく知れりける人の、殿の御供にて尋ね出でたる、さらがへりてねんごろがると友だちにはいひ聞かせたり。よろづ右近ぞ空言しならひける。月もたちぬ、かうおぼし入らるれど、おはしますことはいとわりなし。かうのみ物を思はゞ更に得ながらふまじき身なめりと心ぼそさを添へて歎きたまふ。大將殿少しのどかになりぬる頃、例の忍びておはしたり。寺に佛など拜み給ふみずきやうせさせ給ふ。僧にものたまひなどして夕つ方こゝには忍びたれど、これはわりなくもやつし給はず、ゑぼしなほしの姿、いとあらまほしく淸げにて步み入り給ふより恥しげに用意ことなり。女いかで見え奉らむとすらむと空さへ恥しく恐しきに、あながちなりし人の御有樣うち思ひ出でらるゝに、又この人に見え奉らむを思ひやるなむいみじう心憂き。我は年頃見る人をも皆思ひ變りぬべき心地なむするとのたまひ