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も、防ぐべき人の御心ざまならねば、よその人よりは聞きにくゝなどばかりぞ覺ゆべき、とてもかくても我がをこたりにては、もてそこなはしと思ひかへし給ひつゝ、いとほしながらも聞え出で給はず。ことざまにつきづきしくはえいひなし給はねば、おしこめて物怨じしたる、世の常の人になりてぞおはしける。かの人はたとしへなくのどかにおぼしおきてゝ、まちどほなりと思ふらむと心苦しうのみ思ひやり給ひながら、所せき身の程を、さるべきついでなくて、かやすく通ひ給ふべき道ならねば、神のいさむるよりもわりなし。されど今いとよくもてなさむとす。山里の慰めと思ひおきてし心あるを、少し日數も經ぬべきことゞも作り出でゝ、のどやかに行きても見む。さてしばしは人の知るまじきすみどころして、やうやうさる方に、かの心をものどめ置き、我がためにも人のもどきあるまじく、なのめにてこそよからめ。俄に何人ぞ、いつよりなど聞き咎められむも物騷しく、初の心にたがふべし。又宮の御方の聞きおぼさむことも、もとの所をきはぎはしうゐてはなれ、昔をわすれ顏ならむも、いとほいなしなどおぼししづむるも例のいとのどけさ過ぎたる心からなるべし。わたすべき所おぼし設けて忍びてぞ造らせ給ひける。少し暇なきやうにもなり給ひにたれど、宮の御方には猶たゆみなく心よせ仕うまつり給ふこと同じやうなり。見奉る人も怪しきまで思へど、世の中をやうやうおぼし知り、人のありさまを見聞き給ふまゝに、これこそは誠に昔を忘れぬ心ながさの名殘さへ淺からぬためしなめれと哀もすくなからず、ねびまさり給ふまゝに人がらも世のおぼえも、さまことにものし給へば、宮の御心のあまりたのもしげなき