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時々は思はずなりける宿世かな、故姬君のおぼしおきてしまゝにもあらで、かく物思ひ憚るべき方にしもかゝりそめけむよとおぼすをりをり多くなむ。されどたい面し給ふことはかたし。年月もあまり昔を隔て行き、うちうちの御心を深う知らぬ人は、なほなほしきたゞ人こそ、さばかりのゆかり尋ねたるむつびをも忘れぬに、つきづきしけれ、なかなかかう限あるほどに、例にたがひたるありさまぞなどいひ思はむもつゝましければ宮の絕えずおぼし疑ひたるを、いよいよ苦しうおぼし憚り給ひつゝ、おのづから疎きさまになり行くを、さりとても絕えず同じ心の變り給はぬなりけり。宮もあだなる御本じやうこそ見まうきふしもまじれ、若君のいと美くしうおよすけ給ふまゝに、ほかにはかゝる人も出でくまじきにやと、やんごとなきものにおぼして、うちとけなつかしき方には人にまさりてもてなし給へば、ありしよりは少し物思ひ靜まりてすぐし給ふ。む月の一日過ぎたる頃渡り給ひて、若君の年まさり給へるをもてあそびうつくしみ給ふ晝つ方、ちひさきわらは、綠のうすえふなるつゝみ文の大きやかなるに、小きひげこを小松につけたる、又すくずくしきたてぶみとり副へて、あうなく走りまゐる。女君に奉れば、宮「それはいづくよりぞ」とのたまふ。「宇治より大輔のおとゞにとて、もてわづらひ侍りつるを、例のお前にてぞ御覽ぜむとて、とり侍りぬる」といふも、いとあわたゞしき氣色にて、「このこはかねを造りて、色どりたるこなりけり。松もいとよう似て造りたる枝ぞとよ」と、ゑみていひつゞくれば、宮も笑ひ給ひて、「いで我ももてはやしてむ」とめすを、女君いとかたはらいたくおぼして、「文は大輔がりやれ」との