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奉りたるとうつくしみ聞え給ふはことわりなりや。日々に物をひき延ぶるやうにおよすけ給ふ。御めのとなど心知らぬはとみにめさで、さぶらふ中にしな心すぐれたるかぎりをえりて仕うまつらせ給ふ。御方の御心おきてのらうらうしくけだかく大どかなるものゝさるべき方には卑下してにくらかにもうけばらぬなどを譽めぬ人なし。對の上はまほならねどみえかはし給ひてさばかり許しなくおぼしたりしかど、今は宮の御とくにいとむつましくやんごとなくおぼしなりにたり。ちごうつくしみし給ふ御心にてあまがつなど御手づから作りそゝくりおはするもいとわかわかし。明暮この御かしづきにてすぐし給ふ。かのこだいの尼君は若宮をえ心のとがに見奉らぬなむ飽かずおぼえける。なかなか見奉りそめて戀ひ聞ゆるにぞ命もえたふまじかりける。かの明石にもかゝる御こと傅へ聞きて、さるひじり心地にもいと嬉しく覺えければ、今なむこの世のさかひを心安くゆきはなるべきとでしどもにいひて、この家をば寺になしてあたりの田などやうのものは皆その寺のことにしおきて、この國のおくの郡に人も通ひ難く深き山あるをとしごろもしめおきながらあしこに籠りなむ後又人には見え知らるべきにもあらずと思ひて、唯少しの覺束なき事殘りければ、今までながらへけるを今はさりともと佛神を賴み申してなむうつろひける。この近きとしごろとなりては京にことなることならで、人も通はし奉らざりつ。これよりくだし給ふ人ばかりにつけてなむ、ひとくだりにても尼君にさるべき折ふしのこともかよひける。思ひ離るゝ世のとぢめにふみ書きて御方に奉れ給へり。「このとしごろは同じ世の中のうちにめぐらひ侍りつ