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どろしううつりたるを、おとしかけのたかき所に見つけて引き入れ給ふ。

 「かたみぞと見るにつけてもあさぎりの所せきまでぬるゝ袖かな」と心にもあらず、ひとりごち給ふを聞きて、いとゞしぼるばかり尼君の袖も泣きぬらすを、若き人あやしう見苦しきよかな、心ゆくみちに、いとむつかしきこと添ひたる心地す。忍びがたげなる鼻ずゝりを聞き給ひて我も忍びやかに打ちかみ給ひて、さすがにいかゞ思ふらむといとほしければ、あまたの年頃、この道を行きかふたび重るを思ふに、そこはかとなく物哀なるかな。少し起きあがりて、この山の色も見給へ。いとうもれたりや」と、强ひてかきおこし給へば、をかしき程にさしかくして、つゝましげに見出したるまみなどは、いとよく思ひ出でらるれど、おいらかにあまりおほどき過ぎたるぞ心もとなかめる。いといたうこめいたるものから用意の淺からず物し給ひしはやと、猶行くかたなき悲しさは空しきそらにも滿ちぬべかめり。おはしつきて、哀なきたまややどりて見給ふらむ、誰によりて、かくすゞろに惑ひありくものにもあらなくにと思ひ續け給ひて、おりては少し心しらひて立ち去り給へり。女は母君の思ひ給はむことなど、いとなげかしけれど、艷なるさまに心深く哀に語らひ給ふに、思ひ慰めておりぬ。尼君はこなたに殊更におりて廊にぞ寄するを、わざと思ふべき住ひにもあらぬを、よういこそあまりなれと見給ふ。みさうより例の人々騷しきまで參り集る。をんなの御だいは尼君の方よりまゐる。道はしげかりつれど、この有樣はいとはればれし。河の氣色も山の色も、もてはやしたるつくりざまを見出して、日頃のいぶせさ慰みぬる心地すれど、いかにもてない給