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は十三日なりけり。「尼君こたみはえ參らじ。宮のうへきこし召さむこともあるに、忍びて行きかへり侍らむも、いとうたてなむ」と聞ゆれど、またきこの事聞かせ奉らむも心耻しく覺え給ひて、「それは後にも罪さり申し給ひてむ。かしこにしるべなくては、たつきなき所を」と責めてのたまふ。「人一人やはべるべき」とのたまへば、この君に添ひたる侍從とのりぬ。めのと尼君のともなりしわらはなども後れて、いと怪しき心地して居たり。近き程にやと思へば宇治へおはするなりけり。牛などひきかふべき心まうけし給へり。河原過ぎ法さう寺のわたりおはしますに、夜は明けはてぬ。若き人はいとほのかに見奉りて、めで聞えて、すゞろにこひ奉るに、世の中のつゝましさも覺えず、君ぞいとあさましきに物も覺えで、うつぶしふしたるを、「石高きわたりは苦しきものを」とて抱き給へり。うすものゝほそながを車のなかに引き隔てたれば、花やかにさし出でたる朝日かげに、尼君はいとはしたなく覺ゆるにつけて、故姬君の御ともにこそ、かやうにても見奉りつべかりしが、ありふれば思かけぬことをも見るかなと悲しう覺えて、つゝむとすれど、うちひそみつゝ泣くを、侍從はいとにくゝものゝはじめに、かたちことにて乘りそひたるをだに思ふに、なぞかくいやめなると、にくゝをこにも思ふ。老いたるものは、すゞろに淚もろにあるものぞと、おろそかに打ち思ふなりけり。君も見る人はにくからねどそらの氣色につけても、きしかたの戀しさまさりて、山深く入るまゝに霧立ちわたる心地し給ふ。打ち眺めてより居給へる、袖のかさなりながらながやかに出でたりけるが、川霧にぬれて御ぞのくれなゐなるに、御なほしの花のおどろお