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て、かの宮にだに參り侍らぬを、この大將殿の怪しきまでのたまはせしかば、思ひ給へ起してなむ」と聞ゆ。君もめのとも、めでたしと見置き聞えてし人の御さまなれば忘れぬさまにのたまふらむも哀なれど、俄にかくおぼしたばかるらむとは思ひもよらず、宵うち過ぐる程に宇治より人參れりとて、門忍びやかに打ち叩く。さにやあらむと思へば、辨あけさせたれば、車をぞひき入るなる。怪しと思ふに、尼君に對めん給はらむとて、この近き御さうのあづかりの名のりをせさせ給へれば、戶口にゐざり出でたり。雨少しうちそゝぐに、風はいとひやゝかに吹き入りて、いひ知らず薰りくれば、かうなりけりと、たれもたれも心ときめきしつべき御けはひをかしければ、用意もなくあやしきに、まだ思ひあへぬ程なれば心さわぎて、いかなることにかあらむ」といひあへり。「心やすき所にて月頃の思ひあまることも聞えさせむとてなむ」といはせ給へり。いかに聞ゆべきことにかと君は苦しげに思ひて居給へれば、めのと見苦しがりて、「しかおはしましたらむを、立ちながらやは返し奉り給はむ、かの殿にこそかくなむと忍びて聞えめ。近き程なれば」といふ。「うひうひしくなどてかさはあらむ。若き御どち物聞え給はむは、ふとしもしみつくべくもあらぬを、怪きまで心のどかに物深うおはする君なれば、よも人のゆるしなくて打ち解け給はじなどいふ程、雨やゝ降りくれば、空はいとくらし。とのゐびとのあやしき聲したるやぎやううちして、「やかの辰巳のすみのくづれいとあやうし。この人の御車入るべくば引き入れて御門さしてよ。かゝるひとの供人こそ、心はうたてあれ」などいひあへるも、むくむくしく聞き習はぬ心地し給ふ。さのゝ