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程にこそ御文などを見せさせ給へかし。ふりはへさかしらめきて、心しらびのやうに思はれ侍らむも今更にいがたうめにや、つゝましくてなむ」と聞ゆ。「文はやすかるべきを、人の物いひいとうたてあるものなれば、右大將は常陸のかみの娘をなむ、よばふなるなどもとりなしてむをや。そのかんのぬし、いとあらあらしげなめり」とのたまへば、うち笑ひて、いとほしと思ふ。暗うなれば出で給ふ。下草のをかしき花ども紅葉などをらせ給ひて宮に御覽ぜさせ給ふ。かひなからずおはしぬべけれど、かしこまり置きたるさまにて、いたうもなれ聞え給はずぞあめる。うちよりたゞの親めきて、入道の宮にも聞え給へば、いとやんごとなきかたは限なく思ひ聞え給へり。こなたかなたとかしづき聞え給ふ宮仕にそへて、むつかしき私の心の添ひたるも苦しかりけり。のたまひしまだつとめて、むつましくおぼす下臈の侍一人、顏知らぬ牛飼つくり出でゝつかはす。御さうのものどもの田舍びたる召し出でゝ「つけよ」とのたまふ。必ず出づべくのたまへりければ、いとつゝましく苦しけれど、打ちけさうじつくろひてのりぬ。野山の氣色を見るにつけても、いにしへよりのふることゞも思ひ出でられて、眺め暮してなむきつきける。いとつれづれに人めも見えぬ所なれば心やすく引き入れて、「かくなむ參り來つる」と、しるべのをのこしていはせたれば、初瀨のともにありし若人出できておろす。怪しき所をながめ暮し明すに、昔がたりもしつべき人のきたれば嬉しく呼び入れ給ひて、親と聞えける人の御あたりの人と思ふに、むつましきなるべし。「哀に人しれず見奉りし後よりは思ひ出で聞えぬをりなけれど、世の中かばかり思ひ給へ捨てたる身に