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の尼君の方に立ちより給へれば、いとかなしと見奉るに、唯ひそみにひそむ。なげしにかりそめに居給ひて、簾垂のつまを引き上げて物がたりし給ふ。几帳にかくろへて居たり。ことのついでに、「かの人はさいつころ宮にと聞きしを、さすがにうひうひしく覺えてこそ、音づれよらね。猶これより傳へはて給へ」とのたまへば、「一日かの母君の文侍りき。いみたがふとて、こゝかしこになむあくがれ給ふめる。この頃もあやしき小家にかくろへものし給ふめるも、いと心苦しく、少し近き程ならましかば、そこにわたして心安かるべきを、あらましき山道に、たはやすくもえ思ひ立たでなむと侍りし」と聞ゆ。「人々のかく恐しく住める道にまろこそふりがたくわけくれ、何ばかりの契にかと思ふは哀になむ」とて、例の淚ぐみ給へり。「さらばその心安からむ所にせうそこしたまへ、みづからやはかしこに出で給はぬ」とのたまへば、「仰せ言を傳へ侍らむことはやすし。今更に京を見侍らむことは物うくて宮にだにえ參らぬを」と聞ゆ。「などてかともかくも人の聞き傳へばこそあらめ、あたごのひじりだに時に從ひては出でずやはありける。深きちかひを破りて人の願を滿て給はむこそ、たふとからめ」とのたまへば「人わたすことも侍らぬに聞きにくきこともこそ出でまうで來れ」と、苦しげに思ひたれど、「猶よきをりなゝるを」と、例ならずしひて、「あさてばかり車奉らむ。そのたびの所尋ねおき給へ。ゆめをこがましくひがわざすまじうを」と、ほゝゑみてのたまへば、煩はしく、いかにおぼすことならむと思へど、おうなくあはあはしからぬ御心ざまなれば、おのづから我が御爲にも人聞きなどはつゝみ給ふらむと思ひて「さらばうけ給はりぬ。近き