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おこせ給ふ。おろかならず心苦しう思ひあつかひ給ふめるに、かひなうもてあつかはれ奉ることゝ打ちなかれて、「いかにつれづれに見習はぬ心地し給ふらむ。しばし忍び過し給へ」とある返事に、「つれづれは何か心やすくてなむ。

  ひたぶるにうれしからまし世の中にあらぬ所とおもはましかば」。幼げにいひたるを見るまゝにほろほろと打ち泣きてかうまどはしはふるゝやうにもてなすことといみじければ

 「うき世にはあらぬところをもとめても君がさかりを見るよしもがな」となほなほしきことどもをいひかはしてなむ心をのべける。

かの大將殿は例の秋深くなりゆく頃、習ひにしことなれば、ねざめねざめに物忘れせず、哀にのみ覺え給ひければ、宇治のみ堂つくりはてつと聞き給ふに、みづからおはしましたり。久しう見給はざりつるに、山の紅葉も珍しうおぼゆ。毀ちし寢殿、こたみはいとはればれしうつくりなしたり。昔いとことそぎて、ひじりだち給へりしすまひを思ひ出づるに、故宮も戀しうおぼえ給ひて、さまかへてけるも、口惜しきまでおぼさるれば常よりもながめ給ふ。もとありし御しつらひは、いとたふとげにて、今片つかたを女しく、こまやかになど、一かたならざりしを、あじろ屛風、なにかのあらあらしきなどは、かのみ堂の僧坊のぐに猶更になさせ給へり。山里めきたるぐどもを殊更にせさせ給ひて、いたうもことそがず、いと淸げにゆゑゆゑしくしつらはれたる、遣水のほとりなる岩に居給ひて、とみにも立たれず、

 「絕えはてぬ淸水になどかなき人のおもかげをだにとゞめざりけむ」。淚をのごひつゝ辨