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らむやうなる心地のし侍れば、よからぬものともに惡み怨みられ侍り」と聞ゆ。「いとさいふばかりの幼げさにはあらざめるを、うしろめたげに氣色ばみたる御まかげこそ煩はしけれ」とて笑ひ給へるが、心耻しげなる御まみを見るも、心のおにゝ耻しくぞ覺ゆる。いかにおぼすらむと思へばえもうち出で聞えず、「かくて侍ひ給ふは、年頃の願ひのみつこゝちして、人のもり聞き侍らむもめやすく、おもだゝしきことになむ思ひ給ふるを、さすがにつゝましきことになむ侍りけるを、深き山のほいは、みさをになむ侍るべきを」とて、打ち泣くもいといとほしくて「こゝには何事かうしろめたく覺え給ふべき。とてもかくてもうとうとしく、思ひ放ち聞えばこそあらめ。けしからずだちて、よからぬ人の時々ものし給ふめれど、その心を皆人見知りためれば、心づかひして、びんなうはもてなし聞えじと思ふを、いかに推し量り給ふにか」とのたまふ。「更に御心をばへだてありても思ひ聞えさせ侍らず、片腹痛うゆるしなかりしすぢは、何にかけても聞えさせ侍らむ、その方ならでも、おぼし放つまじきつなも侍るをなむ、とらへ所に賴み聞えさする」など、おろかならず聞えて、「あすあさてかたき物忌に侍るを、おほぞうならぬ所にてすぐして、又も參らせ侍らむ」と聞えて誘ふ。いとほしくほいなきわざかなとおぼせど、えとゞめ給はず、あさましうかたはなることに驚きさわぎたれば、をさをさ物も聞えでいでぬ。かやうのかたゝがへどころと思ひて、ちひさき家設けたりけり。三條わたりにざればみたるが、まだ作りさしたる所なれば、はかばかしきしつらひもせでなむありける。「あはれこの御身ひとつを、よろづにもて惱み聞ゆるかな。心にかたは