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そ。いさゝかにても世を知り給へる人こそあれ、いかでかはとことわりにいとほしく見奉る」とて、引き起して參らせ奉る。我にもあらず人の思ふらむことも耻しけれど、いとやはらかにおほどきすぎ給へる君にて、押し出でられて居給へり。ひたい髮などの、いたうぬれたるをもてかくして、火の方に背き給へるさま、うへをたぐひなく見奉るに、けおとるとも見えず、あてにをかし。これにおぼしつきなば、めざましげなることはありなむかし。いとかゝらぬをだに珍しき人をかしうしたまふ御心をと、二人ばかりぞお前にて、えはぢあへ給はねば見居たりける。物語いとなつかしくし給ひて、「例ならずつゝましき所など、な思ひなし給ひそ。故姬君のおはせずなり給ひし後、忘らるゝよなくいみじく、身もうらめしく、たぐひなき心地してすぐすに、いとよく思ひよそへられ給ふ御さまを見れば、慰む心地して哀になむ。思ふ人もなき身に昔の御志のやうに思ほさば、いと嬉しくなむ」など語らひ給へど、いと物つゝましくてまたひなびたる心に、いらへ聞えむこともなくて、「年頃いと遙にのみ思ひ聞えさせしに、かう見奉り侍るは何事も慰む心地し侍りてなむ」とばかり、いと若びたる聲にていふ。繪など取り出させて、右近にことわり讀せて見給ふに、向ひて物はぢもえしあへ給はず、心に入れて見給へるほかげ、更にこゝと見ゆる所なく、こまかにをかしげなり。額つきまみのかほりたる心地して、いとおほどかなるあてさは、唯それとのみ思ひ出でらるれば、繪はことに目も留め給はで、いと哀なる人のかたちかな、いかでかうしもありけるにかあらむ、故宮にいとよく似奉りたるなめりかし、故姬君は宮の御方ざまに、我は母上に似奉りた