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ず、むつかしき事は折々侍りとも、なだらかに年頃のまゝにて、おはしますべきものを」など、打ち歎きつゝいふ。君は只今はともかくも思ひめぐらされず、唯いみじくはしたなく、見知らぬめを見つるに添へても、いかに思すらむと思ふに、侘しければ、うつぶし伏して泣き給ふ。いと苦しと見あつかひて、「何かかくおぼす。母おはせぬ人こそ、たつぎなう悲しかるべけれ。よそのおぼえは、父なき人はいと口惜しけれど、さがなき繼母ににくまれむよりは、これはいとやすく。ともかくもし奉り給ひてむ、なおぼし屈せそ。さりともはつせの觀音おはしませば、哀と思ひ聞え給はむ。ならはぬ御身に、たびたびしきりてまで給ふことは人のかくあなづりさまにのみ思ひ聞えたるを、かくもありけりと思ふばかりの御さいはひおはしませとこそ念じ侍れば、あが君は人わらはれにては止み給ひなむや」と、世を安げにいひ居たり。宮は急ぎて出で給ふなり。內近き方にやあらむ、こなたのみかどより出で給へば物のたまふ御聲もきこゆ。いとあてにかぎりもなく聞えて、心ばへあるふる事など打ちずじ給ひて過ぎ給ふほど、すゞろに煩はしく覺ゆ。うつし馬ども引き出して、とのゐに侍ふ人十餘人ばかりして參り給ふ。うへいとほしくうたて思ふらむとて、知らずがほにて、「大宮惱み給ふとて參り給ひぬれば、こよひは出で給はじ。ゆするのなごりにや、心地も惱ましくて起き居侍らぬを、わたり給へ、つれづれにもおぼさるらむ」と聞え給へり。「みだり心地のいと苦しう侍るを、ためらひて」と、めのとして聞え給ふ。「いかなる御心地ぞ」と、立ち返りとぶらひ聞え給へば、「何心地ともおぼえず、唯いと苦しく侍り」と聞え給へば、少將右近、めましろ